日本の交通が左側通行なのは何故?その意外な理由

渋滞

当たり前のことですが日本では車両は左側通行と規則として定められているのはご存知ですよね?世界的に見ても少数派で、海外の多くの国は右側通行です。

同じアジアの漢字文明圏である中国、台湾、韓国やベトナムでも交通は右側通行であり、左側通行は日本と香港くらいです。

道路交通の右、左は何を根拠に定着したのか?今回は、走路交通に関する右側通行、左側通行について調べてみました。

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植民地支配と道路交通の関係

道路交通規則の現況が怒鳴っているのか、身近なアジア地域から見ていきますと、西欧列強国による植民地支配という歴史的なことが関係していることが見えてきます。

中華文明圏のベトナムが右側通行なのは、ベトナムがラオスとカンボジアとともにフランスの植民地になっていたからです。

植民地には占領した本国のインフラや社会制度が導入され、その結果、植民地においては近代化イコール西欧化という形になった。

中国が右側通行であるのに香港が現在でも左側通行なのは、香港が「アヘン戦争」以来、イギリスの植民地だったからで1997年の「香港返還」以降も「一国二制度」のもとのもと香港の自治が50年間維持されることになったため、社会インフラに関しては返還前の制度がそのまま維持されています。

東南アジアのシンガポールやマレーシアも左側通行です。いずれも「英領マラヤ」として大英帝国の統治下になった地域で、植民地支配は18世紀から20世紀まで約2世紀にわたっていました。ブルネイもまた左側通行ですが理由は同じです。

オランダとポルトガルは右側通行の国ですが、その植民地のインドネシアとマカオは左側通行です。そのわけは、オランダとポルトガルとももとは左側通行であったからです。

南アジアでは、インドとパキスタン、バングラデシュ、ネパールとブータン、そしてスリランカが左側通行でいずれもイギリスの植民地でした。

オーストラリアやニュージーランドも左側通行で、この2国は現在でもエリザベス2世女王を元首としていて、国家元首の地位は名目上のものに過ぎませんが、制度上は立憲君主制なので、これらの2カ国が左側通行であるのはきわめて自然なことです。

ナポレオン戦争で握側通行が普及

イギリスは左側通行ですが、欧州大陸は基本的に右側通行です。

欧州大陸が右側通行になった理由は、18世紀初頭のナポレオン戦争以降のことです。

ナポレオン率いるフランス軍に敗退し、その支配下となった欧州大陸の諸国にはフランスが生み出したさまざまな諸制度が移転されたのですが、その一つに右側通行がありました。

ナポレオンは軍事上の必要性から右側通行を制度化し、軍事上重要であったので道路標識なども導入しました。

当時は馬車の時代で、フランスでは4頭立ての馬車の場合、馭者(ぎょしゃ)は先頭の2匹の馬のうち左側の馬にのって制御していました。

このため道路の右側を走行する方が馭者にとっては安全だったのです(制御する馬が道路の中央近くにいることになるので)。

19世紀の終わりから自動車時代が始まると、馬車にならって「右側通行で左ハンドル」という形に移行していくことになりました。

一方、イギリスでは馭者は馬上ではなく、中央に位置する御者台に座って馬車を制御しており利き腕の右手で右側の馬を制御する方が容易なので、左側通行が主流になったのだといいます。

以上のようにイギリスが左側通行、フランスが右側通行になった理由は、自動車以前の馬車の時代にあったのです。

アメリカが右側通行になったのは、アメリカはイギリスから戦争によって独立を勝ち取った国であり、イギリスとアメリカの関係は長期にわたって反目し合っていたことを考えるべきでしょう。また、隣国のカナダがイギリスの自治領でありながら右側通行にシフトしたのは、アメリカと陸続きなためだ。

日本が左側通行になった理由は?

では、日本はというと明治維新後に「近代化」の一環として近代的軍隊制度を導入しましたが軍隊の創設にあたって、日本陸軍は最初はフランス陸軍、その後はドイツ陸軍にモデルを求めて制度設計しました。

当時はまだ自動車の時代ではなく、軍隊の移動や輸送には馬が使用されていました。

ドイツ陸軍は、基本的にナポレオン戦争後にフランスの制度をもとに設計されたプロイセン陸軍を中核としていたので、最初から右側通行であったので、フランス軍、ドイツ軍をモデルにした日本陸軍が右側通行を制度として導入したのは当然のことでした。

では、なぜ日本の道路は左側通行になったのでしょうか?

日本の道路が左側通行になったのは、1900年(明治33年)の「警視庁令」(道路取締規則)によります。初代警察講習所長となった松井茂は「特別な理由や研究に基づいたものではない。なんとなく左側通行がよいと考えた」からだったと回想しています。

「なんとなく」という決め方には驚きますが、さらに以下のようなエピソードが紹介されている。

陸軍ではすでに右側通行が実施されていたため、警察としては右側通行を主張する当時の内大臣・西郷従道(西郷隆盛の実弟で日本陸海軍建設の功労者)を説得する必要が生じ、その任に当たった松井と西郷の間でこんな会話が交わされたそうです。

西郷から左側通行の根拠を厳しく問われた末に、松井が「(左側通行には)別に理由はありません。ただこれだけですよ」といって左の腰から刀を抜くまねをしたら、「うむそうか、よかろう」といって西郷は承知したのだという。武士が左腰に刀を差していたから、ということらしい。松井氏自身がこのように回想しているですが、重要な決定というものは、案外こんな理由で決まってしまうのかもしれないですね。

日本の道路が左側通行になったのは英国の影響ではないのである。

左側通行ということで、なんとなく同じ島国である英国に親近感を感じる人は少なくないだろうが、単なる偶然の一致に過ぎないというのが真相のようです。

世界のスタンダードは右側通行

目を外へ向けてみると、世界の大勢は右側通行であり、国連加盟の主権国家193カ国のうち、現在でも左側通行の国は55か国で、左側通行は少数派であることが分かります。

今年2018年は「明治維新150年」であり、「国家百年の計」という観点からしてみれば、日本が1900年に左側通行を採用したことが今となっては正解だったのかどうか考えざるを得ないですが、1900年の時点では、1950年代のモータリゼーションを予見できなかったのは仕方ないかもしれないですね。

さいごに

良くも悪くも日本は島国であるので、将来的に日本の道路交通規則を左側通行から右側通行に変更することの必要性も高くはない上に実際に行おうとすれば社会的混乱を来たすので可能性は限りなく低いでしょう。

けれども左側通行は右ハンドル車を意味するのであり、自動車の輸出というグローバルビジネスの観点からいえば、かならずしも有利ではありませんし、海外で車を運転する際にも戸惑ってしまうこともありますよね。

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